肺ガン闘病エピソード2
あれから丁度3年の月日が流れた。当時の担当医師の説明によると小生の癌の進行状況は前述のごとくであるが、すでに外科的手術により癌細胞を除去する段階は過ぎており、治療のための選択肢は限られているとの由。束の間訪れた静寂の中に確かにチェックメイトの”パチン”という澄んだ音が鳴り響いたが、その間を振り払うようにつとめて冷静に聞こえるように、しかしながら自分の人並み外れた鋭い眼光で死の宣告を自らに都合の良い方向へ導く事ができるような裂帛の気を込めて医師に尋ねた。”それでは私の癌は末期癌ということですね”。返答を聞くまでもなかった。第4ステージと宣告されたのだ。それくらい自分で判断できたが、ただただ、自分自身が悲しかった。癌のことは勿論身に余るほどの大ショックではあったが、その時の本当の気持ちは医師の胸ぐらをつかんで”嘘だろう、勘違いだろうと言ってわめき散らしたかったし、その膝にすがって泣き叫びたかった。そして、この期に及んでも自分の本心をさらけ出せない自分が情けなかった。若い頃からこうだった、などととりとめのない想念を追いながら両肩は落ち、あれだけ眼力を発揮していた視線も自然に下方に彷徨い、彼と対峙してまだ5分もたっていないのに自分の体が一回り小さくなったような気がした。そして、小生の未来の運命を一手に握るその男性医師はおもむろに口を開いた。”あなたの癌は確かに予断を許さない状態にあります。4ケ所ほどに転移も見られます。しかしながら、あなたの場合1つだけ治療方法が残っているかもしれません。予備検査の結果、肺がん患者の2%程の患者に劇的に効果をもたらす新薬があなたにも適用される可能性がでてきました。少し時間をいただきますが、本検査にチャレンジしてみますか?”何という青天の大霹靂!還暦もとうに過ぎるくらい生きてきた小生であるが、これほどいきなり一度谷底に突き落とされて、頂上とは言わなくても再度3合目位までかすかにでも希望の灯の見える所まで急激に引き上げられたのは久方ぶりであった。それはまるで、かの大作家芥川龍之介描くところの”クモの糸”に救済される名もなき男の姿を連想させたが、それは後日、記憶を呼び起こした際の余裕のある状況での連想だったかもしれない。