有斐学舎編エピソード4

 さらに、”有斐学舎”での生活で特筆すべき思い出を問われたらギャンブルと酒であろうか。ギャンブルと言っても寮内で行う小博打のことである。麻雀だけは音がうるさいのでたしか”ミコ”という店名だったと思うが、有斐坂を下りきったすぐ先の、気のいいオバチャンが主の子店で正味3年間良く打ったものである。其の他は寮内の部屋である日突然ご開帳となることが多かった。アルバイト帰りで懐の温かい人間がいたり、アルコールが程よく入ったりの条件が重なったりするとどこからともなく”ご開帳”の声がかかり、好き者たちが三々五々小走りで参集したものである。丼とサイコロを使った”チンチロリン”、トランプや花札でやる“オイチョカブ”等色々やったが、やり始めると白熱することが多くウォーとかギャーとか歓声が上がることも多く、周りの生真面目な学生たちには相当なヒンシュクをかっていたに違いない。親元を離れた場所でやる禁断の娯楽が単純に面白かったということもあるが、何につけ寮生同士競い合った。例えば、1ケ月の生活費をいかに安くあげるかとか、銭湯に行く回数の少なさとか、”合ハイ”で知り合った女の子達から誰が一番多く電話を貰うかとか、切実なものもあれば誠にバカバカしいことでも競い合った。そんな寮内の小博打の話で強く印象に残っている人物が2人いる。1人目は、2年生ながら”アルバイトをしたことが1度もない男”として既に伝説的な存在であったM氏である。牢名主然とした風貌で、噂ではアルバイト帰りの寮生を待ち構える蟻地獄の男として恐れられていたが、小生などもコテンパンにやられた記憶しか残っていない。時々地元のテレビのニュースなどでお見かけするが、その当時の風貌に益々磨きがかかり頼もしい限りである。2人目はM氏とは真逆の意味で伝説をつくった人物S氏である。”ブタS”としてよくからかわれていたが、その日のオイチョカブの調子はいつもに増して惨憺たる有様であった。子で張っても親で受けても彼の札だけがブタの回数が異常に多かった。彼が親をやっているらしいと聞きつけた輩がおっとり刀で駆けつけてくる始末で部屋は大盛況をきたしていた。そしてその瞬間が訪れた。彼が引いた札が又ブタになった瞬間上がった歓声と同時にS氏が自分の1万円札を真っ2つに引き裂いたのである。一瞬凍りついた空気の中”何で俺だけがいつも”という呟きを残して部屋を出て行ったのだった。その場にいた全員がその行為に心底驚いたのは当然であるが、小生は全く別の視点で感動していた。中学生の頃からニュースを丹念に見ていると、世界のそして自分の周辺の揉め事の大方は金つまり富の多寡や偏在に起因しているが故に、多くの人間たちの人世が便宜上のツールである金に振り回されている事実に気付いていて密かに心を痛めてもいた。そういう伏線もあって、その行為の世俗的な評価は別にして小生にとっては新鮮な驚きであり胸に落ちるところがあった。大卒の初任給5万円の時代の1万円である。それを獲得する為に費やした時間と汗の量を考えると常人にはそれをただの紙切れにしてしまうかもしれない行為はとてもできまい。小生にとってS氏は大袈裟に言えば金の呪縛から解放された稀有な存在に思えたし、其の後1年間同部屋で寝食を共に過ごした。ところで、Sさんは憶えているだろうか?徹夜麻雀で朝帰りした小生に”卒業したから帰熊する”とだけ告げ寮から出て行くあなたを裸足で追いかけ、有斐坂の上から、坂を下りきったあなたに向かって30mの距離を挟んで小生が送った渾身のエールを。エールの作法など露程も知らず、卒業のお祝いや3年間の思い出話をさかなに一献酌み交わすことなくあなたを寮から送り出してしまうことへの慙愧の念と、今後の社会人としての活躍を祈る気持ちを込めて“喉よ潰れてしまえ”とばかりに恥も外聞もなく泣きながら感情の迸るままに絶叫したあの日のことを。