有斐学舎編エピソード5

  前回、興が走り過ぎてお酒の件に行き着けなかったが、今回はお酒そのものではないが小生にとってはお酒にまつわるお恥ずかしい事件に遭遇したことがあったのでそれをここに記しておきたいと思う。ある晩例によって有斐学舎ご用達のお店”ひさご”で全員舎生で5,6人いたろうか、機嫌よく1杯やっていると、無粋な目付きの悪い2人組が顔を覗かせ有斐学舎の悪口を言い募って我々を挑発し始めた。気丈なママが”揉め事を起こしたいんだったら帰てくれ”と言い渡しても鞘に入った日本刀を目の前にかざしたりして我々を脅した。女性の身でありながら怖かったろうに、それでもママは悪たれどもに1歩も引かず最後まで強気の対応を見せ結局2人組を追い追い払ってしまったのであったが、我々5,6人の男共はどうしていたか。まさに1歩も動けなかった。ウナギの寝床のような狭苦しい店の中只々凍りついているだけだった。いや動けないどころかママの背中に庇ってもらう形になってしまったのだった。1年生の頃から諸先輩たちの武勇伝を飽きるほど聞かされていたし、人世で一番の生意気盛りの時期でこの世に怖いものなど何もないとタカをくくっていた。苦過ぎる酒であった。見事に鼻を完膚なきまでにへし折られたのである。癌闘病という環境の中で”死”を身近に感じながら日々を送っていると、一瞬ではあったが大袈裟に言えば死と隣り合わせたあの晩のことを時折想い出す。そして、そういう場面に出くわしたら間髪をいれず”表に出ろ”言って席を立つ知人が10本の指で足りないくらいに即座に思い浮かび、その知人達が皆社会の中で揺るぎない地歩と評価を受けているのを見ると、あの晩の自分自身の対応の無様さが際立つのである。元来、小生はもっと若い時分よりまだ見ぬ世界・価値観・文化等を探し求めて根無し草のように生きてきた様に思う。それはそれで色々魅了される経験・発見もしてきたが、真珠貝が”核”を入れないとその価値を発出来ないように小生も人生の楽しさに興じるあまり、一人前の大人になる為の太い覚悟や信念を体の芯に入れる作業を失念したままこの年まで来たような気がするし、その本質的なものが露呈したのがあの晩の事件だったのだろう。故にまだまだ人間としての伸び代が少しはあると思うのだが、如何せん人世の残り時間が少ない。皮肉なものである。                                                     さて、6回にわたってお送りしてきた”有斐学舎編”も今回で一旦お休みし別のテーマに移りたいと思うが、目白台の有斐学舎の最後の生き残りとして当時の様子を少し描写しておきたいと思う。小生の下からの学年の入舎は既に年々減少傾向にあっが、移転情報が追い打ちをかけたのか益々住人の数が減り、1人抜け2人抜けしていく内に寮の荒廃が加速度的に進んだ。廊下を歩くと開けっ放しになった住人のいなくなった部屋には本や雑誌が乱雑に置き捨てられ、畳は白く粉を吹きめくれあがり、思わず目を背けたくなる体であった。2人部屋が毎年満室で、あれ程学生と生活感に満ち溢れていた学舎がその役目を終えようとする今、あっという間にこの様に物悲しく変貌し朽ち果てようとしている。高校時代、古文で習った”諸行無常”の言葉を、そして宇宙万物形あるもの必ず滅するの理を教科書の知識ではなく、実感として胸に落ちた大学5年生の春の感慨であった。