幼少期

小生は、日本のどこにでもありそうな人口10万人程度の地方都市に住む68才の立派な爺々である。西暦1950年の昭和25年生まれでもあるから「五の寅」と呼んで珍しがったりする御仁もいるらしい。生まれ年の数字みたいにキリの良い、整然とした性格に生まれつけば、もっと平坦でも実り多き人生の結実もあったのであろうが、これ又生憎屈託多き小生の人生がすんなりと収まる筈もない。半世紀以上も前になるが、13、14才位頃から自分の生涯はそう長くはない予感があった。今思い起こせば全く根拠のない、思春期を迎えた少年の自意識とか美意識とかの産物だったのであろうが、早世で完結する生き様に対するかすかな憧憬みたいなものもあったのであろう。それ以前の鮮明な記憶といえば、小学校にあがる前後にしばしば訪れたあのとてつもなく物哀しい死生観に関する想念だ。気付いた時には既にその想いで頭の中は溢れかえり沸騰さえしてさえいるのに、片隅では妙に森々として物哀しい自分がそこに居た。その内容たるや6,7才の幼い子供の思考とはあまりにもかけ離れているようで小生としても気が引けるのであるが、ここは自分自身を語る時の核心の部分であるので記録にとどめておきたいと思う。それはかた苦しい言い方をするなら、自身の死後のこの世の有り様についての考察であった。自身の死については実感の伴わない知識として小指の先ほどの理解は確かにあったし許容さえもしていた。それでも我慢がならないのは、自身の死後の世界が必ずしも穏に未来永劫にわたって続いてゆくものでではないという事実に幼いながらも何処かで気付いていたのだろう。年端もいかない年令からしても哲学や宗教的な洞察からきたものでないのは間違いないとしても、自分の死後の世界が永遠に平穏に続いていくものではなく、必ず終末を迎える存在であることが何故か既定の事実として頭の中に刷り込まれていた。自分の死後の世界の、一切の生命活動を停止して全き静寂のなかに永遠に漂う今生の世界━━━。時を選ばず不意にその想念は頭の中を占領し、幼い小生を恐怖に陥れたものであったが、不思議なことにそのことを遊び仲間や親兄弟にさえも打ち明けた記憶がない。あれは何時の頃か、ムンク「叫び」を雑誌か何かで初めて目にした時、不思議な感動と共に幼かった頃のあの当時の想いが鮮明にフラッシュバックしたことを思い出す。