2020東京オリンピック考

その当時の身の丈に収まりきれない想念を抱え込んで日々苦悶していた幼子も今や70歳目前で、何と2年後には人生2度目の東京オリンピックが開催されるらしい。少々真面目過ぎる書き出しでのスタートになってしまったが、現在3年余りの肺がん闘病中のわが身としてはそこを目標として何とかして生き延びてそのいくつかの競技場に立ってみたいと切に願っている。もちろん、そこまで運よく生き延びたとしてもそれで必ず競技場のスタンドに立てるかどうかは別物である。爺々扱いされることにもすっかり慣れてしまった昨今であるが、まずは東京まで体を運び1週間、2週間程度の各競技の観戦に体力が持つかどうか。糖尿病も重なり、目はショボショボの白内障気味。歯はボロボログラグラの歯槽膿漏。耳は若い頃の60%ぐらいしか聞こえず一年中セミの鳴き声が止むことはなく,鼻に至っては積年の過度の喫煙によって鼻の粘膜を焼き切ってしまい,往年の10%程度しか機能しない有様である。各部門とも高齢者一般の水準をはるかに凌駕しており、もしオリンピックで高齢者肉体自虐レースなどが開催されるならぜひとも参加してみたいと思っている。又、それを仮にクリアーしたとしても、それを実行するに足りる経費をどう捻出するか。年金暮らしの身としては詰将棋の解をひねり出すよりはるかに難問であるが、御同輩の中にも東京オリンピックの現場に是非とも立ち会いたいと考えている方も結構多いのではなかろうか。中高年男性は紋付袴或いはタキシード、女性は日本古来の艶やかな着物姿或いはなまめかしいドレス姿で凛として会場に立つ。若い世代のラフな格好も良いが、いわば成熟した世代として盛装した中高年の男女がそこここにさんざめき、”只者ではない感”を漂わせつつさりげない会話を交わしながら開会式場にまさに集う。これこそ日本男女児此処に有り。そのシーンを目に浮かべただけで泣けてくる。老眼を極めた目は外界を鮮明に写し取ることが難しくなったが、心の目は最近良く潤いあまたの内省の心象を捉える。人は将来に対する夢や希望がほんのわずかでも見出せるなら、状況がどんなに厳しくても自分自身をさえだましながらでも何とか生きて行ける生き物であるらしい。今回で2回目の投稿(?)となったが次回以降、肩ひじ張らず我が越しかたの人生を行きつ戻りつしながら”怒涛”というか”爆笑”というか大後悔連続の小生自身の昭和の小話を体の許す限り投稿して行きたいと考えており、どうか読者諸兄の励ましの声はもとより、同情・憐憫・侮蔑の声等何でも受け付け中につき次回乞うご期待!