癌闘病経過報告エピソード2

1ケ月以上もご無沙汰をしてしまった。久々のブログ再開である。10月の末から肺がんの治療の為約2週間の予定で入院したのだが、10日程で早々に我が家へ帰ってきてしまった。入院中の病院側の対応が信じられないものであったからである。小生が入院して3日後に…

久々の肺がん闘病記の途中経過報告

久々に肺がん闘病の報告を一節。今年の春ぐらいから内臓器官の一部、例えば副腎とかリンパ節とかの検査数値が少しずつ懸念される方へとブレ始めた。よくも約3年間副作用もなく奇跡的に生き延びてきたという思いもひとしおであるが、最初の1年目の冬は来年…

有斐学舎編エピソード5

前回、興が走り過ぎてお酒の件に行き着けなかったが、今回はお酒そのものではないが小生にとってはお酒にまつわるお恥ずかしい事件に遭遇したことがあったのでそれをここに記しておきたいと思う。ある晩例によって有斐学舎ご用達のお店”ひさご”で全員舎生で…

有斐学舎編エピソード4

さらに、”有斐学舎”での生活で特筆すべき思い出を問われたらギャンブルと酒であろうか。ギャンブルと言っても寮内で行う小博打のことである。麻雀だけは音がうるさいのでたしか”ミコ”という店名だったと思うが、有斐坂を下りきったすぐ先の、気のいいオバチ…

有斐学舎編エピソード3

さて、学生寮”有斐学舎”の当時の生活で強く記憶に残っているのは、今ではすっかり死語になってしまった”合ハイ”なるイベントであろうか。女子大生との合同ハイキングの略語であるらしいが、現在でも細々と続いているのだろうか。その頃も今もそうであるが、…

有斐学舎編エピソード2

前回、学生生活の中の記憶に残るアルバイトについての記述を展開したのであるが、一年中それにかかりきりの生活ではなかった。大学のゼミの仲間達とは映画やボーリング 麻雀、ドライブでもよくつるんで遊んだりしたし、文学の同人誌活動でも文章の出来を競い…

かくの如く、諸先輩たちの親身な”オモテナシ”に感謝しつつ小生の東京での生活はまずまず順調な滑り出しを見せた。明治・大正の雰囲気を色濃く残す建物も多少の古臭さは感じたがそれほど不便さは感じなかったが、大学での同人誌の友人たち7,8人を案内した…

さて、前回まで小生の癌闘病について重苦しい雰囲気の記述が続いたが、今回よりガラリと趣向を変えて半世紀近く時間を遡って、それ以降の人生に多大の影響を与えた東京での生活を振り返ってみたい。 昭和44年、高校を卒業して一浪後大学に入学し飛び込んだ…

4,5日後にやっと入院の運びになったのであるが、半信半疑というより、不信心には絶対の自信もつ小生がな・な・何と人智を超えた存在に対して薬の効果を祈ったのである。何と浅ましい奴なのだろうか。この数十年間、人に或いは社会に対して善行を施したこと…

何しろ、100人の肺がん患者のうち2,3人しかいない遺伝子的形質を小生が持っているかもしれなく、そうであればその新薬は劇的な効果を患者にもたらすという。そのデーターに裏打ちされた”劇的効果”という言葉のなんという蠱惑的な響きであったことか。少々下…

肺ガン闘病エピソード2

あれから丁度3年の月日が流れた。当時の担当医師の説明によると小生の癌の進行状況は前述のごとくであるが、すでに外科的手術により癌細胞を除去する段階は過ぎており、治療のための選択肢は限られているとの由。束の間訪れた静寂の中に確かにチェックメイ…

肺ガン闘病エピソード1

さて、初回にて小生の肺がん罹患についてさりげなく触れたのであるが、今回はそのくだりからスタートしてみたい。 ある日、朝目覚めた瞬間に喉の異常に気付かされた。喉の異物感が鬱陶しくてじれったかったが、几帳面な小生はまず母音の”ア”から発声を試みた…

2020東京オリンピック考

その当時の身の丈に収まりきれない想念を抱え込んで日々苦悶していた幼子も今や70歳目前で、何と2年後には人生2度目の東京オリンピックが開催されるらしい。少々真面目過ぎる書き出しでのスタートになってしまったが、現在3年余りの肺がん闘病中のわが身…

幼少期

小生は、日本のどこにでもありそうな人口10万人程度の地方都市に住む68才の立派な爺々である。西暦1950年の昭和25年生まれでもあるから「五の寅」と呼んで珍しがったりする御仁もいるらしい。生まれ年の数字みたいにキリの良い、整然とした性格に生まれつけ…