有斐学舎編エピソード3

   さて、学生寮”有斐学舎”の当時の生活で強く記憶に残っているのは、今ではすっかり死語になってしまった”合ハイ”なるイベントであろうか。女子大生との合同ハイキングの略語であるらしいが、現在でも細々と続いているのだろうか。その頃も今もそうであるが、その場の雰囲気を盛り上げようとか、女の子たちの好きそうな話題を振ったりとかのサービス精神に著しく欠けていた小生はモテルはずもなく、毎回斜に構えてふて腐れていたイメージが強い。さらに分析すると、今の自分をさらけ出してめぼしい女の子にアタックして”ごめんなさい”と言われた時のショックを恐れていた。同じ舎生達に、袖にされる自分を目撃されるのも絶対嫌であったし、何より異性に拒絶されることは自己の存在を全否定されるようで怖かった。だから心が傷つくのが怖くて斜に構えてしまう。何という自己矛盾であったことか。異性の友達が欲しくてイベントに参加しているのに、目的を達成するための努力を惜しむ。十代と二十代のはざまでまだ何一つ完成されたものなど自分の内になく、これから良くも悪くも経験という素材を身の内に積み重ねて行くべき年頃なのにその努力を怠る。何とその機会と時間を無駄に使ってしまったのだろうか。その思いは学生生活と社会人生活と合わせて計7年間も東京で過ごしたにもかかわらず、当時首都東京に集っていた当代のその道の才気あふれる匠たち、例えば画家・小説家・音楽家・建築家・評論家等々と面会して話を聞こうとする努力をしなかった自分自身への残念な思いへと繋がっていく。多分その試みを実行していたとしても99%は門前払いを喰らって落ち込んでいたことだろう。つまり”ごめんなさい”と言われるわけである。しかし、その経験も門前払いを食わない為の手段や方策に知恵を絞ることで少しは成功率を上れたはずである。現人神と面会するわけでもあるまい。彼等と直に会って会話を交わせていたらもっと違った人生の展開があったかと思うと口惜しい。                           もう一つ強烈に記憶に残っているのが”有斐祭”と呼ばれていたいわゆる学舎の1年に1度のお祭り騒ぎである。前々回の投稿で述べた例の中庭が驚くべき変貌を遂げ、そこにステージがしつらえられ芸達者な面々の出し物が次々と披露されるのだが、何と入舎半年の小生がそのステージに登場したのであった。登壇のいきさつは既に記憶にないが、髭をつるつるに剃った後に助っ人に呼んだらしい女子大生たちに顔に入念にメイクを施され仕上げに唇に紅を引かれると覚悟が決まった。ステージに上がるために廊下を歩いているとウブそうな同級生たち数人に上目使いに挨拶をされたが誰にも小生だと気付かれなかったのは痛快であったし、女性たちの化粧する目的や昂揚感や変身願望について少し理解できた気がした。ともあれステージ上でスポットライトを浴びて当時大流行した山本リンダの”もうどうにも止まらない”を即興で踊りながら熱演したのであるが、その頃小生が黒人に魅了されていた時期と重なるのでその影響もあったのかも知れない。そして、その熱演の出来についての言及は50年近く経過した今でも小生の耳に届いていない。