4,5日後にやっと入院の運びになったのであるが、半信半疑というより、不信心には絶対の自信もつ小生がな・な・何と人智を超えた存在に対して薬の効果を祈ったのである。何と浅ましい奴なのだろうか。この数十年間、人に或いは社会に対して善行を施したことは自慢ではないが記憶にない。愚行に愚行を重ねながら転びつまろびつ大根おろしのようにあちこちをすりむきながら不甲斐なく年齢を重ねてきた小生の人生。たとえそのような絶対的な存在が仮に居たとしてもそんな虫のよい話を聞き届けてくれるわけがない、などと思いながら看護婦さんが渡してくれた薬のカプセル2錠を神妙に飲み下したのであった。  病院の夜は消灯時間が異常に早い。繊細な自分は今晩は多分一睡も出来ないだろうと勝手に決めつけていたが、羊を10匹数える間もなく眠りに落ちた。ふと目覚めると午前3時。6,7時間は熟睡したらしい。久々の満ち足りた睡眠であった。喉の具合からして、ここ2ケ月あれ程体力と気力を奪ってきた執拗な咳も多分1回も出なかったらしい。祈るような思いで何度か咳をし、ティッシュを口に当てたが毎度おなじみの鮮血は皆無であった。まさに奇跡の体現である。最初の薬が小生の体の中に入った時から3年間、1度たりとも変な咳が出たり鮮血が見られたことはない。そして、抗がん剤治療にはつきものの髪の毛が抜け落ちたり体重が激減したり、他の臓器までを傷めるいわゆる副作用も一切ない。翌日からは年齢なりの普通の生活が始まり、2週間程度で退院し仕事場に復帰したのだった。若い頃、バイクで車に追突して後ろに乗せた弟と一緒に空を飛んだ時ナマ爪を剥がすくらいですんだ事や、公道を深夜時速120km以上のスピードでチキンレースをしてあわや大惨事になりかけた時も決して奇跡などとは考えなかった。バイクの時など二人で大笑いしながら集合場所の遊び友達の家へ行き、包帯を指に巻きながら麻雀に打ち興じたものであった。空を飛びながらチラッと視界をよぎった空の青さや、他の枚挙にいとまのない獣じみたな身勝手さと馬鹿さ加減を内包した愚行の数々もこの年になると只々ほろ苦く懐かしく忘却の彼方からユラユラと浮かび上がって来たりするが、一見奇跡に近く見えたとしても決してそうではないことは明白である。真の奇跡には、起こり得ないことが起きた”意味”が必ずそこにあると昨今確信に至っている。小生が今ここに生きてあること自体が奇跡なのであり、自発的な使命さえ感じる。そして小生の一身にに起きた癌闘病の奇跡が促すものが何であるかの考察にも自分なりの結論を見い出している。しかしながら、その強迫的に促すものを成就するには幾つかの大障壁が立ち塞がり、どうやら未完のまま近々墓場まで持って行く可能性が高いとの予感があるが,出来る限りこのブログで成就に向けてチャレンジする小生の姿をお伝えできれば幸いである。次回からは、学生時代5年間お世話になった、かの“有斐学舎”での生活を面白いエピソードなどまじえて生き生きと活写できればと考えている。