何しろ、100人の肺がん患者のうち2,3人しかいない遺伝子的形質を小生が持っているかもしれなく、そうであればその新薬は劇的な効果を患者にもたらすという。そのデーターに裏打ちされた”劇的効果”という言葉のなんという蠱惑的な響きであったことか。少々下品だとは思ったが、地獄にホトケ・猫に小判急がば回れなどの格言のフレーズが頭の中で何の脈絡もなくいくつも弾けたが、とはいえ本検査とやらにパスしない限り元の木阿弥である。いつもの癖で、”どのくらい待てば結果がわかるのか”等と詰問調で尋ねるのは思いとどまった。自分の不遜な物言いで、せっかく手に入るかもしれない幸運を逃すのを恐れるかのようにひたすら低姿勢に”検査の結果が分かり次第連絡をよろしくお願いします”と精一杯の念押しをして病院を後にしたのだった。
 しかしながら、この待つ時間の長さとその苦痛は尋常ではなかった。1週間待ち、2週間待ちしても病院からの検査結果の報告はやってこなかった。3週間目を超えた時ついに小生の堪忍袋の緒が切れた。その頃になると、すでに咳に出血がみられた。昼間は仕事に紛れてそうでもないが、就寝時になると待っていたかのように咳が頻発した。ティッシュに付いた鮮血の赤が小生にこれが現実であることを思い知らせた。直前にかすかな灯火を見てしまっていたが為に、かすかな希望にすがり、それが消えてしまいそうな予感に恐怖が何倍にも増幅したのであった。今思えば、小生の怒りを電話口で最初に受けた看護婦こそとんでもない災難であった。拡声器並に飛び出す小生の怒声は彼女の鼓膜を叩き震わせ、経験のすべてを総動員して私をなだめようとする彼女の試みを一切受け付けなかったし、次に替わった主治医に対しても舌鋒の矛先はキリとなって突き刺さった。何しろこちらは文字通り命がかかっているのだ。数分後に善処を約束した医師の声でやっと我に返った有様であったが、遺伝子形質検査にパスした旨の連絡が入ったのはそれから約10日後であった。